【実録】会社を辞めるといったとき 2006年

地元の百貨店で、4年半働いていました。

辞めた理由。

>東京で暮らしたかった。

>もっといい仕事をして、いい給料をもらいたかった。

>いい仕事のために勉強できる環境を探した。

 

当時、27歳のわたしはすこぶる焦っていました。

地元の百貨店の職場環境は古くて遅い。いろいろと面白いこともあったけど、このままでは、成長できなくて、どんどん同じ年代の東京で働いている人たちに後れをとってしまう。

わたしは2000年に大学4年生で就活をしたのですが、氷河期第一世代で、とにかく落ちまくり。

精神的に追い詰められて、やっと9月に内定をもらったものの、考えすぎた結果このまま就職することに不安を感じて、ワーキングホリデーに行ってしまったというなんともその時代でよく言われていたロストジェネレーション世代の代表のような道のりをたどりました。

「わたしって社会不適合者だから。。。」とか、ツイッターでつぶやきはじめていた時代です。

卒業式のときの気持ちは、
イギリスにいって、英語をマスターして、そのまま働きながら勉強しMBAとって、

「あのとき就活で落ちまくったときのリベンジを必ずしてやる!」

「あのとき就活の面談でぼろくそに言われたやつらを見返してやる!」

そんな風に思っていました。

 

しかしながら、父親の病が発覚して1年のビザ終了をもって帰国。

 

家庭教師のアルバイトなどしながら食つないだものの、父の病気が長丁場になってきたので、正規に働くべしと思って決めた就職先。

3年半の間に、父のガンの再発、抗がん剤治療開始、終了、入退院を繰り返して、他界、3回忌を終えたところで、

 

やっぱり東京に戻って働きたい。

自分にはまだまだ違う環境があるはずだ。。。

そう思って退職を切り出しました。

 

面談は、課長→部長→副社長と、一段階づつ決意表明をしていったような感じです。

副社長に言われたことです。

「海外との仕事がしたいって、(青年海外協力隊したいとそのとき言ってた)そういうことは、そういうことをずっと考えてきている大人の人たちがいるから任せればいいんだよ。」

「こんなこと言っていいのかわからないけど、そういう仕事のこととかばっかり考えてないで、女性として自分を幸せにすることを考えなさい。」

 

なんで挑戦を否定されなきゃいけないんだ。。。とか、

女の幸せなんて。。。とか、

優しくて尊敬していた上司に、そんな通り一辺倒のことを言われてショックだった。

だからこそ、余計に発奮して、東京いってがんばってやる!!!と思ったものです。

 

しかしながら、今、10年たって、振り返り、

東京に行きたいっ

海外に行きたいっ

 

と、がつがつ焦っていた自分をみて、「ちょっと考えなさい」と言ってくれた副社長の言葉が身に沁みます。

あの時は、とにかく社会のメインストリームについていきたかった。

そして、10年間、がんばってきたけど、その必死になってついていこうとしたものは、なんだか一生続けられるものじゃなかったと気付いた。

 

社会のレールみたいなものから外れて、だけど外れたままでがんばる覚悟もできないし方法もわからなかった。それでも戻りたくて必死になってた。

 

あのときのこと、後悔はしていないけど、、遠回りして今にたどり着いたなぁと思っています。

もっとちゃんと副社長のいうこと聞いていれば、こんなに長くかからなかったんじゃないかなぁとも思います。

 

レールなんて、もともと幻想で、自分の人生は自分のものなんです。

なにか違うって思ったら、自分で自分の道をつくっていけばいい。

 

その行路は、ひとりだけで歩くことは考えない。

大切な人たちと自分の幸せをちゃんと考えられる。

そういうのこそ、幸せなんだと思う。

 

転職は、キャリアだけじゃなくて、生き方そのものを考える機会になります。

自分の人生を楽しむための努力って、すごい楽しいですよ!!!

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