アメリカで考える人種というもの

水原希子ちゃんが出演するサントリーのCMに対して、ネット上で「偽日本人…」などという悪口が書かれているそうです。

悲しいことだ。

 

アメリカと韓国のハーフで、日本で生まれ育った。

(色々住んだことがある街も多いらしいが、細かいところはいいとして)

日本人ですよ。

 

日本という国はほぼ単一民族で出来上がっているので、人種とか国籍とかいうものはなんとなく「これ」と決まったものだと思っている。わたし自身もなんとなくそう思ってきていた。

アメリカにきて、とにかく移民が多いこと多いこと。

A●両親が移民してきて、子供はアメリカで生まれ育ってアメリカの教育を受けている。

B●留学でアメリカに来た他国籍のもの同士の子供、アメリカで生まれ育つ。

C●父は多国籍、母親はアメリカ人(パターンAの子ども)

>>全員、アメリカ人なんです。

 

これまでこんな感じの人は「○○人」と思っていたものが、ほぼほぼ当てはまらない。

アメリカ人は、出自とかなにも関係ない。

アメリカになじんでいったらもうアメリカ人。

 

おお、なんておおらかな国なんだ。

 

そう思っていた反面、

そこに気を付けなければいけないものがたくさんあることがわかりました。

 

人は、それぞれがみんな違っていて当たり前。

 

 

ある会社の広告に、安易に「白い肌の女の子」が使われていたり、「黒い肌の子供」が掲載されていたのですが、

それに対して、同僚のアメリカ人が即座に反応しました。

「これ広告の対象として、人種が特定できる表現をするのはまずいよね」

 

そうなんです。

 

そういうことに、すぐ反応が出来るようなマインドが、アメリカ人の中には備わっている。

自分も違う、人も違う、違うということは認識していて、それでアメリカ人。それぞれ出身の影響はそれなりには受けていることはあるけど、その出身が自分を形成しているわけではなく、それらがミックスされていまの自分がある。

こういえばしっくりくるのかもしれない。

みんながそれぞれ違っている、、、ということが共通項。

そんな感じ。

 

世界は広いのだ。

 

世界はいつも前に向かって動いている。

 

ちょうど昨日に、人種とか出身とかのことを話題にしていて、アメリカは自由の国だけども、その自由の中にもいろいろな人や考え方のことを気を付けなければいけないのだなぁとそんな風に思っていた。

そんな中で、水原希子ちゃんのニュースをみて、狭い視野が横行しないようになればいいのになぁと感じたのでした。

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