キャリアという言葉の定義を考える。そして考え続ける。

自分自身のキャリアの定義とは何かを考えること

キャリアという単語でもっとも親しみがあったのは、キャリアウーマンというものだった。
(もはや死語になっているんではないかなと思うような。。。)

キャリアウーマン
キャリアプラン
キャリアを積んで。。。
キャリア官僚

などなど、キャリアという語源そもそももとくに考えずに、このカタカナ語を使っていた。

キャリアは、goo国語辞書によると。。職業・技能上の経験。経歴。(その他のキャリア除く。)
仕事というものに就く前からなんとなく漠然と抱いていたイメージは
>大企業で働く経験
>会社の中での大きな事案の経験
>会社の中で重要な役割を担ったりや責任が重くなっていったりする経験(出世していくこと)

このイメージ
「さて、それは本当にそれでよかったのだろうか?」と思います。

 

仕事。。。仕事は自分の時間を使い、労働や知識を提供して給料をもらう。

給料=労働時間×単価
給料をあげようと思ったら、労働時間か単価のどちらかを上げなければいけない。
労働時間には限りがあるから、単価をあげるのが手っ取り早い。
自分の単価を上げるために、自分の社会における価値を上げていくことが大切だ。

それを会社組織の中でのマッチングさせていけるのが出世なのかもしれないけど。

仕事の一生が、あるひとつの会社組織の中で完結するならば、自分の単価というのは会社の中での評価とつながっていていいと考えて間違えてはいないのかもしれない。ただ、マーケットに出たときに、労働市場全体の中でその単価が使えるのかというと、それはマッチングしない。
マッチングする場合もあるかもしれない。似たような機能を持った組織にいけばいい。

その場合、あくまでも同じような環境のなかでの評価(単価)になるから、それも実際の自分の社会における価値とは違うような気がする。

(まあこれはわたしが思っている範囲の労働市場なので、ほかの人の市場は違うのだと思う。それについては人それぞれでいいのだと思う。)

わたしの場合は、
自分の仕事ができる能力を高めるには、大企業に入ることがひとつだと思っていて、それをやっては見たけれども、大企業というのは、企業の論理とか組織とか、そういうものを大切にしなければいけない世界だということを何年もたってから気が付いた。。
振り返ってみて、学生時代のほんわかした夢、自分がやりたかったこと、「世界のどこかしらにふらふらしてもそこそこ面白い仕事ができるようになりたい」とかいう思いもかなえられない。ここにいても、会社の処世術を身に付けても(身にもつかなかったけど)世界のどこでも働けない。

つまりは、わたしがやりたいと思っていたことと、自分がつまなければいけないキャリアと思っていたものは、そもそも違っていたんだなぁと思います。

自分がやりたいことってやつがすぐ見つかるとも限らないし、見つかっていてもそれがすぐには本当にそうだったかどうかとか、わからない。
でも、そうかもしれないなーと思って、それを行動にしていって、それを仕事にしてお金にしていくようなサイクルを作り上げていくことが大切なんだと思う。
いやー、これやっぱり間違えてたかもなーとかだったら、違う何かにまたトライできるような体力がそこには残るから、大きな経験値になりうる。

それがわたしにとってのキャリアというものなのかもしれない。

キャリアの定義。
仕事の定義。
働くことの定義。

この社会で生活してく上で、大切なことは、一般的な意味合いと同時に、自分にとってどういうものなのかの意味付けを自分で理解しなければいけないのだなと思います。

それがもし間違っていたら訂正すればいいし、次に間違えないようにもっと自分の心の声を聴くとかいろいろ。

修正するのもあり。

自分の思いに正直に忠実に誠実にいきたいものです。

 

以上、お仕事のことでした。
ちょっと、この件はまだまだ考えて書き直したりもいずれしたい内容です(^^♪

 

ランキング参加中です。どうぞよろしくお願いいたします(^^♪

にほんブログ村 転職キャリアブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です