最低賃金上昇と、アメリカと日本のお金の価値について考えたこと

こんにちは。毎日L.A.さとみです。
本日は経済っぽいことを考えております。
あくまでも「ぽい」ことで。

「最低賃金で消費は活性化するか」という記事をみて思った。

カリフォルニアの最低賃金は続々とあがる。

エリアによっては、すでに15ドルくらいになったりしたりもしていて。

今わたしがみているアメリカは、物価の上昇、地価の上昇、最低賃金の上昇とぐるぐるあいまって、
お金の回り方ががんがん変わってくる。
そのお金の動きが変わるイメージは、ドラスティックで、政府が「来年は1.5ドル賃金あげまーす。だから、そこまでに調整よろしく!」みたいな感じで、方針があって、そこに向かって変わっていく感じ。
もうスケジュール出ている。
これに対して、日本の最低賃金は、
現状の経済状況をみてみて。。。「んー。10円あげたほうがいいかな。20円かな。。。」とそろそろあがっていってたイメージです。
どこの国もそりゃ政策と特徴があるから、お金の動きが変わっているんだろうけれども。
仕事をするにあたって、その経済状況によってやるべきことの正義みたいなのが違うのは目からうろこな感じなんだよなぁということは書き留めておきたい。
日本じゃいかに安くていいものを供給できるかということの追及ばかりしていて、
1円10銭削るべく、商談を繰り返したりした。
ふと、立ち止まった時に、果たしてこの1円削ることになんの価値があるのかと思った。
いや、それをすることで、消費者を魅了していって競合に勝っていく。。。
そう信じさせられて来たから、そこで頑張ってきたけど。
本当にそうだったのかなーと。
もっというなら、それがめぐりめぐって自分の生活をほんとうによくしていたのだろうかなと。
本当にクリエイティブになるんだったら、新しい価値を生み出すために使われるお金は使われていくべきだし、
数円の違いで価値を競争しなければいけない状況にしている場合じゃない。
本当に競合に勝ちたいなら、新しい価値を生み出してそれ相応の対価をつけたれたらいいのだとぼんやりとは思っていた。
そんなこと言ったって、大きな潮流を変えるのは大変だよーと、日本にいるときは思っていて、「仕方がないのかなぁ」とぼんやり思っていたけれども。
いまアメリカにいて、ドラスティックに変化する経済価値を見ていると、この大きな潮流を変えることがたぶん出来て、
あー日本はやはり経済が停滞していたから、そういうこと(1円10銭削ること)やらざるを得なかったのかもなと今になってようやく気付く。
それとも、1円10銭削ることを正義にするような消費マインドに合わせたから、そういう風になってしまったのか。
  「鶏が先か、卵が先か」論か的なものかなー。
ある意味で安定しているのだけれども。
安定は果たしてどこまで続くのか。
むしろ止まって衰退。。。しないといいけれども。
まぁ難しい理論はわからないので、感じたことをとりとめもなく書きましたが、自分の生活は自分で守るというのは改めて大切だなぁと思うのであります。

ご訪問どうもありがとうございました。
春のL.A.は花が咲き誇り始めました。

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